先日、米寿のお祝いにと、お孫さんであるお母さんに連れられた幼稚園くらいの子と、まだ3歳くらいのひ孫ちゃん兄弟が、胡蝶蘭を購入して行きました。
おじいちゃんにお祝いだということ。
米寿を迎えた方が、大勢の孫やひ孫の家族に囲まれて祝ってもらっている情景が浮かびます。

米寿って、88歳!(当たり前ですが)
88年、歳を重ねるなんて、気が遠くなりそうですが、
案外、あっという間かもしれませんね。
歳を重ねた方は、穏やかなかわいい笑顔になっていくようです。
ちょっとのことでは動じなくなるし、子供に返っていくようで、
歳を重ねていくのもいいかもしれませんね。
若いときには、長生きなんてしなくてもいいと思っていたけれど。
ひとつひとつ辛いことを解決していくことは大変だと思っていたので。
でも、行き着く先が、穏やかな陽だまりのようなら、その中に浸るのもいいかも。
ちょっと、漠然としたイメージにしか過ぎませんが。

今は、核家族が多いので、お年寄りに優しくなれない、あるいは人に思いやりを持てない、そんな淋しい世の中になっています。
祝い花胡蝶蘭を抱えて帰っていった小さな背中を見て、幸せのお裾分けをいただいた気になりました。
先日、米寿のお祝いにと、お孫さんであるお母さんに連れられた幼稚園くらいの子と、まだ3歳くらいのひ孫ちゃん兄弟が、胡蝶蘭を購入して行きました。
おじいちゃんにお祝いだということ。
米寿を迎えた方が、大勢の孫やひ孫の家族に囲まれて祝ってもらっている情景が浮かびます。

米寿って、88歳!(当たり前ですが)
88年、歳を重ねるなんて、気が遠くなりそうですが、
案外、あっという間かもしれませんね。
歳を重ねた方は、穏やかなかわいい笑顔になっていくようです。
ちょっとのことでは動じなくなるし、子供に返っていくようで、
歳を重ねていくのもいいかもしれませんね。
若いときには、長生きなんてしなくてもいいと思っていたけれど。
ひとつひとつ辛いことを解決していくことは大変だと思っていたので。
でも、行き着く先が、穏やかな陽だまりのようなら、その中に浸るのもいいかも。
ちょっと、漠然としたイメージにしか過ぎませんが。

今は、核家族が多いので、お年寄りに優しくなれない、あるいは人に思いやりを持てない、そんな淋しい世の中になっています。
祝い花胡蝶蘭を抱えて帰っていった小さな背中を見て、幸せのお裾分けをいただいた気になりました。